煩悩とは「迷いや欲」の事を指します。煩悩の言葉もまた仏教語でもあるサンスクリット語から由来しています。
昔は、煩悩=女性を示唆していました。女性は、仏教徒に属する坊主や坊様にとって迷いの根源であったからです。
坊様は男性です、やはり美しい女性を見たり異性と話をしてみたくなるものです。
しかし、仏教では関りを持つ事自体禁止されていたので掟を守る為坊様は女性とすれ違う時に「煩悩、煩悩」とつぶやいていたそうです。
人が生きていく為に必要な「生きるための目標」には、少なからず煩悩が根源にあると思います。迷いや欲があるからこそ、その迷いを断ち切ろう…もしくは、欲を実現させようと想えるのです。
年末の除夜の鐘で108の煩悩を落としているといわれます…全て落としきれる人はそういないでしょう。年明けともなれば、セールだ特売だ、お正月だから少し贅沢をしよう…そう思う方も多いと思います。ただ、この考え自体は私は好きです。人らしく感情があり、人生に抑揚をつける上では欠かせない「楽しさ」でもあるからです。
ただ、人間の感情を遥かに底下げしてしまう煩悩があります。それは「心の穢れ」です。
心の穢れは長年の蓄積で積み上げられるものです。人を恨み、妬み、羨む、これも一つの煩悩に当たります。
人を恨み、妬み、羨むことに何の得があるのでしょう。時間は進んでいます。
相手の事より、まずは自分自身の軸をしっかりと保ち続けることが賢明です。
煩悩の恐ろしさは、我欲に負け自分自身のコントロールが効かないことです。人に対しての悪い思いを断ち切り前へと進まなければ、今後やってくる光も見えなくなるでしょう。
人生は、自分本位で構いません。良いんです、私は私で。あなたはあなたで。
ありのままの自分自身で居て下さい、そして人を恨まず、妬まず、嫌な時は無理にでも笑って下さい。全てが素晴らしい景色になります。
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