因果とは原因と結果です。
仏教では、縁と因は対等の立場で存在しなければバランスの取れないものだという考えがあります。
仏教の教えには、縁は間接的な結び、因は直接的な結びつきを示します。
この世に生を受け、命を与えられた者には平等の縁と因が与えられます。
しかし、どちかが強くどちらかが弱いとバランスの取れない生き方になります。
よく人生は、良いことも悪いことも最終的には五分五分になっている…プラマイゼロになっているもの…だと聞きます。それに少し近いことかもしれません。
因果で一番よく耳にするのは「家系の因果」になります。
何代にも渡りこの世へ誕生し、人間ですから良いことも悪いことも多少はしてきたはずです。良い行いをしたご先祖様が居ても、悪い行いをしたご先祖様が居ても関係ないと思いますが…実は、そう因果は簡単に切れるものではありません。これは「縁」も同じ事です。
悪い行いをすると、基本的には8代先までその因果が残ると云われています。しかし、もしそれを自分の代で清算し断ち切りたいと思うのであれば方法はいくつかあります。
まずは、出家です。仏の道に入り煩悩、邪念を取り払う事。
出家自体なかなか容易に出来るものではありません。今の人生を投げうってまでも仏道へ入るには相当の覚悟が必要になります。
もう一つは、人の為に尽くし人の為に生きることです。簡単そうに聞こえますが一番難しいことかもしれません。人に見返りを求める尽くしでは意味がありません。見返りも求めず困難に立ち向かう人、迷える人へと手を差しのばす…それこそが人に対しての尽くしになります。ただ、これは短期で行えるものでもありません。生きている限られた時間の中で常に精進し全うしなくてはいけないものです。
最後に、神や仏、全ての神聖な者たちに対しての感謝です。どのような状況に陥ったとしてもこれで済んだのだ…これで良かったのだ…そう思い常々感謝をすることです。
捨てる神あれば拾う神あり。まさに、この意味に近いです。悪行を行い続けた者へは、罰が与えられます。しかし、その罰とは「気づき」であり、その気づきを初めて気づき行い改めることで拾う神が現われ本当の意味での救いが行われるのであります。
家系の因果は、子供の数によって分散することも出来ます。
しかし、どの子が因果を一心に受けてしまうのか、それはまたその家系ごとの因果によります。
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